coffeehour 茶話時間
2023-05-22T13:28:44+09:00
cafe_caraway
coffee caraway 目黒区五本木2-13-1 火~土曜、12:30-18:30営業 https://c-caraway.com/
Excite Blog
今の思い
http://coffeehour.exblog.jp/33096461/
2023-05-22T13:27:00+09:00
2023-05-22T13:28:44+09:00
2023-05-22T13:28:44+09:00
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つれづれ
今日はどこに書いていいのか分からないことを書いてみます。
この頃、詩とか歌とか芸術に触れる機会が多いので
こんなことが浮かんできたのかもしれません。
***
たとえば。
楽しい音楽を聴いて楽しい気分になるのは当たり前だと思ってた。
甘い香り、酸っぱい香りと感じる感覚は皆同じと思ってた。
必ずそうとは限らないし、そういうこともあることの不思議。
同じ人間なのだから、という表現の当てにならなさ。
同世代、同じ出身地、同性だから、分かることもあるけど分からないこともあること。
その前提で全てを疑ってみること、あるいは信じてみること。
そうやって揺さぶりをかけ、振るいにかけた意識に重心を置いて誰かと対峙してみること、あるいは何も考えずにただ向き合うこと。
世界を見つめ直すことは、こんなにも面白い。
学べば学ぶほど答えは多様に、かつシンプルになっていきます。
私は何を言ってるのでしょうね?
分からないようで、きっと分かるはず。]]>
12回目の。
http://coffeehour.exblog.jp/32013221/
2020-12-02T15:49:00+09:00
2020-12-02T15:49:23+09:00
2020-12-02T15:49:23+09:00
cafe_caraway
つれづれ
なにかお祝いをしたり、ちょっとしたサービスをしたり、
あるいは何もしなかったりしている。
去年の11周年は何をしてたのかな?と思うけれど
このブログには何も書かれていない。
きっと、11月下旬にやった大きなイベントで燃え尽きて、
淡々と日々をこなすので精一杯だったのだろう。
今年の12/5は土曜日で、スタッフさんの出勤日。
だから私は基本的には不在なのだけど、
ちょっとした“ありがとう”を用意しようかと思う。
本当は私が直接お迎えすべきなのだろうけど、今年はあえて。
2020年が、こんな年になると予想した人もきっといないだろうし
誰もがそれぞれに、大変な1年だったはず。
けれど、その大変さがあまりにそれぞれ過ぎて、
うまく共有できないのが辛いところだと思う。
私にとっては、「人との距離感」が最大の課題だった。
ソーシャルディスタンスという言葉が広まり、
距離を置くことがマナーにもルールにもなった今年。
ある人の、「今年は人の本音が聞けなかった」という言葉が刺さった。
近づいてはダメ、恐い、でもずっと離れているのも寂しい。
リモートという形で人と繋がってみても、残るのは
新しい技術に触れたという初回の新鮮さばかり。
結局は、いつもよりいっそう人の表情や声色、そして
本人がそこに居ることを感じたいという思いが募った。
目の前にいる人でさえ、遠く感じてしまう。
それでいて、近づき過ぎて無自覚に傷付けあってしまうことも増えた。
coffee carawayと看板を掲げ、お客様を待つ仕事をして12年。
正直に言って近頃、私のこころは今にもくじけそう。
『アルケミスト』という小説に、砂漠のオアシスで暮らす少女が出てくる。
いつ戻るとも分からぬ恋人を待ち、いつ襲われるか分からぬ敵に怯える日々は
彼女をどんな人間にしていくのだろう。
それでも心折れず、真っ直ぐに生きていくには何を信じれば良いのだろう?
人との距離、自分の居場所、そこでの立ち方。
ここに居ると決めたから、訪れてくれる人がいる。
もしこの時代に、私が家に留まって仕事や生活をしていたら
きっと寂しさと、生きる手ごたえの無さに自分を見失っていただろう。
だから私はこれからも、おそらく店を続けていくのだろう。
いつも笑顔ではいられない、落ち込んだりふてくされたりもしてしまう。
そんな弱さを抱えながらも、それでも人と触れ合っていたい。
また、新たな出会いを喜べるように。年末はゆっくり休みをいただきます。
自分がこんなに弱いなんて、知らなかった。それもまた、自分との出会い。
みなさまにも、しばしゆっくり立ち止まる時がありますように。
2020年12月 coffee caraway 12周年に寄せて
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政治的であるということ
http://coffeehour.exblog.jp/31229651/
2020-06-14T14:05:00+09:00
2020-12-02T14:48:44+09:00
2020-06-14T14:05:47+09:00
cafe_caraway
つれづれ
【せい‐じ〔‐ヂ〕【政治】 の解説】 デジタル大辞泉(小学館)より
1 主権者が、領土・人民を治めること。まつりごと。
2 ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、
社会の意思決定を行い、これを実現する作用。
以前、もう10年近く前か、私は友人との会話の中で
「私は自分のことを政治的な人間だと思っている」と言ったことがある。
自分でも変わった発言をしたと思ったし、その時の友人の腑に落ちない顔も覚えている。
場面は学生時代の友人宅での飲み会で、ある1人がなにか日本の政治家について批判していた。
私には、その批判はあまりにも表面的で、なおかつどこかのマスコミの意見をなぞっている
ように聞こえた。今思えば、それが彼女の本当の意見だったかもしれないとも思うのだが、
その時はなんとなく苛立って何かを言い返したのだと思う。
それに対して「じゃあ、あなたは誰を支持しているの?」というようなことを問われ、
私は特に支持している政治家はないと答えた。
それについて「それなら政治に関心が無いのでは?」と問われたことへの答えとして、
支持する政党や政治家はない、しかし自分が関心が無いとは思わないというつもりで答えたのだった。
実際に私が日本の政治に関心があるかというと、選挙に行くことを義務として自分に課すだけで、
まさに表面的に、マスコミを通じて今のニュースを追うくらいで、あるともないとも言えないと思う。
しかし、そうではない「政治的な在り方」というものがある、とこの頃改めて思ったのだ。
私たちが暮らす場所、共に暮らす人、仕事の内容、そのやり方。発する言葉、その全て。
それは、自分自身の信条を示すものであると思っている。
私がいつも正しいと思うことをしているなんてとても言えないけれど、
同意しないことに同意しないとか、関わるべきでないと思うことに関わらない、
そういうことの積み重ねが、世の中の向かう先に影響すると思うし、それも政治的活動だと考えている。
この、消極的とも言える政治的態度を基本として、なおかつ必要とあらば
自分の信条を述べることを厭わないという姿勢が、私の基本的スタンスである。
今、世の中が非常に不寛容になっていて、常に誰かの粗探しをしてその場所から引きずり降ろそうとしている中、
自分の思うことを正直に発言したり、行動することはとても勇気のあることだと思う。
その中を生き抜くために、うまいこと笑いに変えたり、程よくバランスを取ったりできることが
これまでの賢い生き方だったのかもしれない。
しかし、今はそういうことが通用する時代ではないのだと思う。
周りが不審げな顔をしようと、不快に思われて反論されようと、自分が本当に思うことは言っていいのだ。
私はこう思う、それを聞いてあなたはそう思った。そのことをそのままに共有すれば良い。
絶妙な落としどころをその場で探す必要などない、ただその違いがあるということをまず知ることが大事だ。
その違いを思いやり、自分が譲れることは譲る、譲れないこともあっていい。
少なくとも、相手に譲らせようとしたり、無理やり説得したりしようとしないことが
これからの世の中では必要とされていくのではないか。
私はそのような政治的な人間であるが、優しい人間ではない。
だから、目の前にいる人をただおもてなししたり、仲のいいふりをしたりはしない。
喧嘩腰である必要はないが、まずはお互いがどのような人間か知る必要があると思っている。
誰もが大切にされる権利を持っているが、そうされるための礼儀というものもあるだろう。
そういう考えを、自分の生き方をもって示している。
そのことを、忘れずにいようと思い、ここに記す。
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もう、ここまで来たら思うこと。
http://coffeehour.exblog.jp/31223958/
2020-06-10T16:16:00+09:00
2020-06-14T13:27:28+09:00
2020-06-10T16:45:13+09:00
cafe_caraway
coffeehour
2020年、希望に満ちた祝祭の年になるはずだったのに。
なんでしょうね、びっくりするほど地味な生活を送っております。
そう、それはもちろん「コロナ」の影響です。
去年、ラグビーW杯で盛り上がってたこととか遠い昔みたいです。
仕事上では、スタッフさんの出入りがあって
賑やかだったり、イベントだったり、
あれこれ忙しかった気がする2019年。
そうそう、ギャラリーイベントを企画したり、
いつもとは違う挑戦もしたのでしたっけ。
それもあってか、年末にはすっかり息切れしてしまって
今年はなんというか、あまり新しいことに向かう意欲は湧かない気分でした。
まずは、日々の営業をやって行こうと。
とはいえ、色々楽しみな計画もあって、
4月、5月は忙しくなりそう…と思っていたら。
緊急事態宣言。そんな大きなことが、起きるなんて。
あれやこれやで、先の計画はみな延期、あるいは中止になって、
楽しみにしていた芝居のチケットものきなみ払い戻し。
ビデオ会議やコンテンツの無料配信など
新時代が到来したような変化や、
地元の飲食店や、人気で行列するお菓子屋さんが
テイクアウトや通販を始めて、気楽に手に入るようになったり。
がっかりなこと、楽しいことが行ったり来たりして
非日常が日常みたいな、予定は未定的な日々が
この2ヵ月ほど続いていたのでした。
もうね、こんな時だからね。
自分を甘やかしてばかりの私でした。
頑張らない。毎日起きて、仕事しただけでえらい。
ちょこっと感情的になってしまった時も、
それはそれで。ごめんなさいで。
いやーもう、みんな頑張ってるから、
余裕が無くて当たり前ですよねと思っていました。
5月の末に宣言が解除になって、ですがまだまだ
元どおりというわけには行かない6月。
どこまで、なにを、緩めて良いのか。
誰も定かには分からないまま、手探りに歩き出している今です。
(いつか、未来にここを読む私のためにも書いています。)
今は久々に、カフェでぼんやりしています。
でもこんな時間も、これからは減るかもしれない。
直接は関係ないけれど、店のシフトも変更になって、
基本平日勤務になることになったので。
でも、やっぱり頑張るのはやめようかな。
休みたい時は、休んでしまおうかと思います。
よし、頑張るぞと力み過ぎると、なにかと空回りする私なので…
今一番やりたいことは、旅に出ること。
知らない街、懐かしい街を歩き、気になったものを見て、疲れたら休んで。
日常からしばし離れて、生きるだけ、感じるだけの私に戻る時間が欲しい。
あぁ、でも。
今わたしは生きているんだなぁと思いました。
生きているって、自分だけの問題だと思っていたけど、
実は相対的なことでもあるのかもしれません。
そしてあの人も、生きている。今、同じ時間に。
そう気付いて湧いて来る感情を味わってみると、
それは泣けてくるようなありがたさ、申し訳なさのようなものでした。
私なんか、別に。なにかお役に立つ人間でもないし。
それでも、生きている、そのことはどうしようもなくあるのだなぁと。
この先の見えない時期に、なにかを成すことが出来ないのであれば、
まずは自分の持分をしっかりやり切ること。
それは仕事ですらなくて、ただ生きるということを
こつこつと、やけにならず、やるということが
私の今やるべきことなのではないかと思いました。
人のことを心配したり、国や世界を憂えたり。
そんなことに疲れたら、まず今日はしっかりご飯を食べよう。
なんというか、そんなことがつらつらと浮かんでくる午後なのでした。
ああもう、これはコーヒー屋のブログですらないですね。
でもこれが、今わたしの考えていることです。
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10年を超えて。
http://coffeehour.exblog.jp/30216990/
2018-12-13T17:24:00+09:00
2019-09-09T11:13:52+09:00
2018-12-13T17:24:21+09:00
cafe_caraway
coffeehour
あ、まだあちこち盛り上がってるなぁと気づく2018年年の瀬です。
そうそう。おかげさまで先日、coffee carawayは開店10周年でした。
10年ひと昔とかdecadeとか言いますし、ひとつの区切りなのだろうと感じます。
本人としては、やっと1周したのかなというか、やっと一人前なのかなというような
ちょっとひと息つくような感じの感慨がありました。
10年やって、何か変わったかなと考えましたが、
とりあえずこの秋、人生で2台目の焙煎機を購入しました。中古です。
弘法筆を選ばずというし、機械にはこだわらないと思っていましたが汗
昨年くらいから、煎っ太郎くん(本名、というか正式な製品名)の不調が続き、
“そろそろかなぁ・・・”と思っていたところ、お世話になっている方から
中古焙煎機が売りに出てると教えていただきました。
気軽に買えるような値段のものではないし、これまでの私ならお断りしたと思うのですが、
なんだかすっと、「ぜひご紹介ください」とお返事してしまったのは、
やはり10年経ったからなのかなと・・・。
あと、10年やったら「これが俺の強みだ!」みたいな自負も出てきそうなのですが、
どちらかというと、今思っていることは
「あぁ、私って色々足りないところがあるから、皆さんに助けて頂けるんだな」ということです。
わりと突っ張る(突っ走る?)性格なので、1人でなんでも進めてしまいがちなのですが、
まずはプロに任せるところから始まり、ここ数年は、頼れることは人に頼るようになりました。
何もしていなければ、誰かに気づいてもらえることもないとは思いますが、
コツコツ、反応が無くても、自分なりに目の前のことを楽しんでやっていくうちに、
「これ、やってみたら?」「これ必要では?」と声を掛けてもらえたように感じています。
改めて、なんで店を10年やって来れたのかな、と考えてみました。
(このブログを始めた2006年の9月から、ネット通販はやっていましたが)
おそらくそれは、自分の「できること」と同じかそれ以上に、
「できないこと」について向き合ってきたからではないかと思いました。
自分ができないことを認めるって、できるようになるのを諦めていいのか?とか、
努力を怠っているように感じたりもすると思います。
自分に対しても、他人から見ても。
ですが、何かができないことが明らかなのであれば、
そのままにしておくくらいなら、すぐに手を打つ。できないなら他の方法を考える。
そのことが、自分の「できる」を伸ばしてくれたような気がします。
新しい焙煎機が来て、試行錯誤をするのはとても楽しいです。
そして先月から新スタッフさんが入り、これからの変化も楽しみです。
2年間頑張ってくれたスタッフSちゃんは、もうじき卒業。
とっても頼もしくなった彼女のこれからも、やっぱり楽しみです。
未来がどうなっていくのか、誰しも気になるところですよね。
そういう私も、星占いなど見るのが好きなのですが、
実際、「そう言われてもよく分からないなぁ」ということが多く。
逆に、未来がどうなっていると嬉しいのかも、よく分からない。
なにより、どうなるのか分かってしまったら、つまらないし怖いです。
映画も、先に筋が分かってしまうと楽しめない方なのです。
それでも、とにかく未来は希望に満ちて、新鮮な喜びに溢れているよう願います。
そんな日々に備えて、今出来ることを、ただひたすらに。
年末の慌しいこの時期、注文をくださる方、店に足を運んでくださる方のおかげで
手を動かし、足を動かし続けられるということ、本当にありがたいです。
ブログって、いつまでデータを保存してくれるのでしょうね。
たどたどしく、自分の道を歩き始めた頃の自分と再会できるこの場所。
これからも時々訪れて、足跡を残したいなと思います。
皆様もどうぞ、楽しいホリデーシーズンと、良いお年をお迎えください。
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気が付けば、3年目。
http://coffeehour.exblog.jp/28040075/
2017-08-10T16:52:00+09:00
2019-09-09T11:15:55+09:00
2017-08-10T16:52:17+09:00
cafe_caraway
coffeehour
SNS全盛のこの頃、日々の思いはあぶくのように現れては消えていき、
まとまった言葉を書き記す力が無くなっているのを感じます。
昔はこう、パソコンのモニターに向かって、誰に向けるともなく
ああでもない、こうでもないと文字を打ち込んでいたものでしたが…。
それでも、日々の流れからドロップアウトする夏休みや正月休み。
ふと”何か、記録を残しておこうか…”という気持ちになることもあります。
とはいえ、こうしてブログを書くのはなんと3年以上ぶりらしいのですが。
ブログ(あるいは日記)の良いところは、自分を俯瞰して見られること。
そこに書かれているのは過去でもあるし、今の自分の成り立ちを示してもいます。
変わんないなぁ、ということやら、そんなことあったっけ?まで、
なぜ自分が今ここにいるのか?ということを説明してくれるようにも思います。
そういう意味では、こうやってブログを公開する必要はないのかな?とも思うのです。
自分だけが読み返せれば、それで良いはず。
店のイメージにも、邪魔にこそなれプラスにはならないかも?とか。
しかし、最近尊敬する方の言葉で胸に刻んだことは、
「自分の思いは表現し続けなければ伝わらない」ということ。
店の中で、カップの中で、お客様との会話の中で。
日々、自分の中にある「おいしいコーヒー」「店のあるべき姿」「お客様に伝えたいこと」を表現し続けること。
これは…相当難しいことですよね!!!でも、その方は実行してるんです、凄過ぎます。
もともと私はうっかり者で、忘れ物やら遅刻やらは日常茶飯事、すぐ疲れる、眠くなる、ダラダラしがち。
そんな自分をなんとか叱咤しつつ、まともな社会人としてのレベルに近づけようと努力するのがやっとなのに。
さらに高い理想を体現するなんて…無理…でもやらなきゃ…いや無理することはないか…(←こういうところ)
でも、だからこそ、せめて。
心の思いだけでも、言葉にして刻むことで。
自分へも、忘れないようにと伝え続けることが出来るなら。
ここに書き続けることにも意味があるのかもしれない…と。
ブログだけ読んでくださって、実際の私を見たことはない方に、どんなふうに見えるかはわかりませんが。
共に心の軌道をたどって頂くことで、何か感じて頂けたら良いのかなぁと思います。
私も他の方のブログを読んで、自分では気づけなかった何かをもらうことがあります。
例えば、こちらのブログ。
とある人気カフェの奥様が綴るブログで、
お店の情報の合間につづられる日常に、和んだりジーンとしたりしています。
こんな風に、自然に自由に文章を綴れたら良いなぁと思ったり。
文章を書くことの難しさを、改めて感じるこの頃です。
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to be, or not to be
http://coffeehour.exblog.jp/22291231/
2014-06-13T16:17:00+09:00
2014-06-14T14:21:01+09:00
2014-06-13T16:18:00+09:00
cafe_caraway
coffeehour
なんと1年半も書いていなかったと気付きました。
自分なりに考え方の変化はあったのですが、まだ途上という感があったかも。
2013年の初めに、続けて食の専門誌にご紹介いただきました。
また6月に載せていただいたGINZAでは、小さいけれどおいしい店のひとつに
選んでいただきました。
「いまどきのコーヒーショップ」とは認知されていないけれど、
きちんとした取材をしてくださるこれらの雑誌にご紹介いただけたことは
なんとありがたいことか!と嬉しくなりました。
実際に通販のご注文も増え、あぁ、これからも頑張っていこう!と思えた出来事でした。
そして、5月には念願のNYへ!コーヒー三昧の旅をしてきました。
シアトル系ではない、アメリカの今のコーヒーに触れることが出来ました。
ここ数年、日本のコーヒー界の主要な指針となった
スペシャリティコーヒーの流れはアメリカからやってきたもの。
当店でもスペシャリティコーヒーを扱いつつ、セミナーやトレーニングに参加する中で
「じゃあ今、アメリカでおいしいと思われてるコーヒーってどんな味なのか?」を
実際に味わってみたいと思っていたのです。
旅の一番の収穫は、アメリカにおけるコーヒーが、ただかっこいいだけではなく
人々の生活に密着し、当たり前に飲まれているものだと感じたことです。
日本やヨーロッパの風景の中にあるスターバックスなどのコーヒーショップは
いかにも「新しいトレンド」という輝きを放っています。
ですが、ブルックリンでマニアックにおいしいコーヒーを追求するGimme!や、
独特の世界観を表現するStumptownは、確かにかっこいいけれど
今風とか流行と関係なく、ただその店らしくあり、気負い無く見えたのです。
そして、そここそが一番私が「かっこいい」と思った点なのでした。
日本に帰ってからこの1年、東京にはコーヒーショップがさらに増えました。
すでに成功している店の2号店(ロースターとしても含め)や、
キャップにスケボーのお兄さんが似合いそうなコーヒースタンドなどなど。
コーヒーを入れるマシンにもこだわって、豆も珍しいものをそろえて。
はぁ、かっこいいよね、ワクワクするよね・・・というお店ばかり。
かっこいいだけでなくちゃんと勉強もしてるし、文句のつけようもない。
古い建物を自分達で改装した、リノベーション系カフェ(うちみたいな?)は過去のものか。
景気が良くなったのか、お金のある人たちがコーヒー業界に乗り込んできたのか。
うん、いいんじゃないかな。清潔で、さわやかで。イケメン店員も多いし・・・
これがこの頃言われている、「サードウェイブ系」コーヒー店なのだろう。
確かにそれらの店はかっこいいけれど、うちがそれを目指すか?というと違う気がする。
ならば、どんな店を目指すのか???
なんだかそんなことばかり考えていたこの1年だった気がします。
うちらしさってなんだろう、何が私の思うかっこよさだろう。
最初に思ったのは、自分の周りの小さなコミュニティを大切にしようということ。
それこそが、うちの店らしさに繋がるのではないだろうかと。
ものづくりをしている仲間達と、共に仕事をしていくこと。
仕事を通じて、また共感できる人々と出会うこと。
その積み重ねが、お客様にとっても、仲間と自分にとっても
魅力ある心地よい店作りに繋がるだろう。
だから、普段の仕事と同じくらいのエネルギーで
「季節のコーヒー」をテーマに小さな挑戦を続けることにしました。
そしてこの頃思うのは、個性とかオリジナリティというものは、
時代や流行を見ていて出てくるものじゃないということ。
1人で黙々と、自分が良いと思えるものと向き合っていくと、
自ずと周りとは違う特徴が際立ってくる、それが個性なんだと。
「うちらしさ」なんて、作ろうとして作れるものじゃないし、
作らなくても必ずあるものなんだと。
手っ取り早く目立とうとするから、きらきら輝くものを欲しくなるけれど、
いつでも流行最先端の、オープンしたての店でいる方法なんてない。
10年経ってるけど、なんだかいいね。古くないね、という店になるために。
すぐにはたどり着けないものを目指して、日々を重ねていくしかないのだろう。
先日、とあるWebマガジンで当店を
「サードウェイブ系コーヒーショップ」としてご紹介いただきました。
果たして、当店はサードウェイブ系なのかどうか。
調べてみたところ、サードウェイブの定義のひとつには
非チェーン店系の、おいしさを追求する小さな店というものもあるような。
一杯のコーヒーに、どこまでおいしさ、豊かさを詰め込めるか。
堅苦しくない、マニアックでないことも含めて、当店らしいコーヒーを目指していくこと。
それもひとつの「新しい波」として、認めてもらえたのなら嬉しいです。
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未来さん、こんにちは
http://coffeehour.exblog.jp/21228352/
2014-01-06T01:11:00+09:00
2014-01-06T01:15:30+09:00
2014-01-06T01:11:45+09:00
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つれづれ
長かった冬休みも今日でおしまい、明日からもろもろ始動いたします。
あまりにも長く、仕事を忘れ、のびのびと過ごしてしまったので
今日は少し、休みの終わりが切なかったです。でも、やっぱり明日はやってくる。
そう思ったら、ちょっと楽しみな気分にもなってきました。
とある方のtweetで、「欧米人は、自分が過去から未来に向かって進んでいると考える。
日本人は、未来が自分にやってくると考える」というフレーズがありました。
それこそ「新年を迎える」という言葉がそれですよね。
そういう未来とは、まだ手付かずの可能性に満ちたもので、過去の制約は受けていない。
そう考えるといくつになっても自由であると感じられるし、希望も沸いて来る気がします。
このお正月に繰り返された体験のひとつは「あなたってこういう人だから」という指摘。
言われていることはおおよそ分かるのだけど(ものを頼みにくい人?)
じゃあどうしたらいいのか、自分が変われるのかがまだ分からずにいます。
頼んでくれたらよかったのにとも思うし、頼まれたくないことも確かにある。
ですが、人が「頼みにくいよ!」と言ってくるということは、頼みたいということ。
そう思われるということは、何かを期待されているのかもしれません。
期待されることへの恐れが、私にはあるようです。心当たりは、多々ある。
ですが期待には、より私に近づこうとする気持ち、愛情も含まれているのでしょう。
期待を恐れず、受け止めること。人から頼まれることを喜ぶこと。
今自分がなりたいと願っているような人間になる、第一歩のような気もしています。
休み中に実家に寄った時、前から借りようと思っていた本を、やっと借りてきました。
自費出版の本で、父方の祖父が亡くなった時にそれを偲んで家族が制作したものです。
子供の頃にぱらぱらと読んだ気もするのですが、内容をほとんど覚えておらず。
私が生まれた時にはもう亡くなっていた祖父のことを、改めて知りたいと思ったのです。
父に頼んで本を取り出すと、箱型のカバーからもう一冊の冊子が出てきました。
それは、やはり私の会ったことのない「もう1人の祖母」のための冊子でした。
父が幼い頃に母を亡くしていたと聞いたのは、私が社会に出てからのことでした。
私が祖母だと思っていた人は後妻であり、父や私との血の繋がりはないのだと。
しかもそれは父からではなく私の母から語られ、父の思いを直接聞いたことはありません。
それでもその冊子が箱から出てきた時、父は「僕を生んでくれた母」とつぶやきました。
そこに載っていた写真の祖母は、初めて見るのによく知っている顔をしていました。
正月特番の、ドナルドキーン氏の対談を見ていた夫が話していたこと、
「文字として残しておくこと」の大切さ。
それが早々に、具体的に示されたようにも感じたのです。
繰り返されるメッセージを見つけたら、よくよく見つめてみる。
それが、2014年最初の私の課題のようです。
時と時のはざまの今、感じていることをここに記しておきます。
私にこれから訪れる、未来のために。]]>
再生していく未来
http://coffeehour.exblog.jp/21196189/
2013-12-31T17:25:00+09:00
2019-06-10T18:22:09+09:00
2013-12-31T17:25:31+09:00
cafe_caraway
つれづれ
大掃除も終わり、早々に年賀状も出したので今日はのんびり。
今年の前半はこんな感じだったようで。
仕事も楽しみつつ、自分時間も充実していた様子。
その後を振り返ってみる。
6月。過去を振り返る機会多し。
長い付き合いの友人の旅立ちや変化に
これまで・これからを思う。
7月。友達と出かけたり、集まったり。
穏やかな日常ながら、内面ではぐるぐる動いていたような。
8月。写真展開催、これまでで最長、そして突然の最終回。
引き続き周囲は変化の時。ショックな指摘も受け呆然。
9月。家族や友人と過ごす時間が多く、活動も活発に。
SCAJ参加、コーヒーの日準備など、水面下で多忙。
10月。コーヒーデイズからの京都ひとり旅。
色々とやりきった感。後半はしばしのんびり。
11月。油断していたところに、ついに通告。
動揺しつつ、ただ日々をこなしていく。
分かっていたこと、でも受け入れたくないこと。
12月。店舗開店5周年。5年という年月のボリュウムを味わう。
改めて現状を見つめ、去っていくものより、今ここにあるものを愛そうと思う。
本当に心が望むことだけしよう、と気づく。
小さな忘年会と、穏やかな時間。静かで、楽しい年末。
・・振り返ると、苦しい時期が多かったけれど、今思えば必要な時間だったのかも。
例えばもし、今必要なものだけ残して身の回りを整理しなさいと言われても、
物なら選べても、人や環境は選べないだろう。
手に入れたよきものを、全て持ち続けたい、変わらずにいたいと欲張る私だから。
今年起きた変化の全てには心から納得できないとしても、そこからメッセージは読み取れる。
もう、それは終わったのだ。そこはもうあなたの居場所ではない。
何かを背負うことなく、縛られることなく、あなたの行きたい場所に行けばいい。
あなたはまだ出会うことが出来る。あなたの出会ってきたものたちのように。
2012年の12月、私は進むべき未来を探してもがいていた。
店を整え、コーヒーブランドのイメージを整え、家での仕事環境を整えて。
勉強して、旅に出て、新しいものを吸収しようとし。
転機は自分の能動性が生み出すと思っていた。
しかし途中から、自分のコントロールの及ばないところで変化が始まっていると気づいた。
自分が足場にしようと思っていた、既得権と信じていた環境が失われるような。
そもそも、自分のものですらないものだったのに。
それらが織り成す空気のようなものに、心が寄りかかっていたのだろう。
その変化の前に、ただ私は嘆き、とまどうしか出来ない日々だった。
全てが洗い流された後、砂浜に転がる貝殻のように私に残されたものが見えてきた。
ひとつひとつ手にとってみるとそれらは見覚えがあり、確かな輝きを放っていた。
海の上には、いくつもの星が瞬いている。
世界はなにひとつ変わっていない。
ただ、変化がやってきて、新しい秩序がもたらされようとしている。
そのことに今、やっと気づいたところだ。
まもなく2014年がやってくる。それは、ほんの、「明日」だ。
でも、目に見えない境界を越える時、私たちはほんの少し新しくなる。
そしてそれを信じる。よみがえる自分を信じるのだ。
また夢を見よう。仲間と手を繋ごう。それを信じて、この1年を終えようと思う。]]>
わたしがコーヒー屋になった理由。
http://coffeehour.exblog.jp/19971118/
2013-07-07T17:58:00+09:00
2019-06-10T18:23:01+09:00
2013-07-07T17:58:39+09:00
cafe_caraway
つれづれ
今読んでいる対談は、もう何度も読み返しているのだけれど、
今回ひっかかったフレーズは
『内的なイメージを他者に提示しようと思ったら、物語にするしかない』というものでした。
イメージという英語を和訳すれば、画像という意味も出てくる。
心の中の画像を誰かに見せることは出来ないから、
人は語ったり、絵で描いたり、歌ったりする。
例えばコーヒーの味なんていうのも、本来的には内的なイメージですよね。
それを「これはどこ産の豆で中煎りで、花の香りがして・・」なんて説明することもありますが、
言葉ではどうしても伝えきれないこともある。
だから私はコーヒーを焼き、挽いて淹れる。うまく伝わればおなぐさみ。
予想しない反応も、また楽しい。
しかし言葉も説明ではなく「物語」を語れるなら、イメージを伝えられるのかもしれない。
もしもこの抱いているイメージを言葉で描けたなら、
わたしはコーヒー屋ではなく、物書きになれたのかもしれないと思ったのです。
思えば幼い頃から、自分の中にあるイメージを吐き出したいと思っていたようです。
ひたすらビーズ細工に没頭したり、紙を小さく切って形を作ったり。
ある時は、迷惑なほど長い手紙を書き続けたり、絵と詩をノートに綴ってみたり。
でも、それらは物語にはならなかった。イメージはわたしのなかに渦巻くばかりでした。
それがなぜコーヒーなのかは分かりません。紅茶でも、ビールでも、パスタでもなく。
豆を煎って、挽いて、ドリップする。それを誰かと共有する。
ただそのことが私のこころをほぐし、喜ばせてくれる。
その本には『物語をつづることは自分を癒してくれる』というフレーズも出てきます。
イメージの表現はただの1人遊びではなく、他者との交流を通じての
治癒行為でもあるのです。
それは、私のための行為かもしれない。
でもそれが、誰かを楽しませ、ひととき疲れを忘れさせることが出来るなら。
そしてそのことが、また私を前に進ませてくれるなら。
そんな風に私は働きたい、そして生きたいと願っています。
もっと違った形で、もっと有効に出来るならと思うこともあります。
ですが今のところ、わたしにとってそれは、コーヒーなのです。
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季節はずれの青い春。
http://coffeehour.exblog.jp/19716382/
2013-06-03T18:47:10+09:00
2013-06-03T18:47:07+09:00
2013-06-03T18:47:07+09:00
cafe_caraway
つれづれ
定期的に、予定を決めず気分のままに過ごす日を設けたいと思っているのです。
と言っても結局夕方までダラダラして、夕方くらいに
「あ!あそこに行きたい」などと思いついてはもう間に合わず、
ひとり悔やんだりしてもいるのですが。そして今日も。
しかし、今日ふと気づいたこと。
自分を解放してあげたい、無意識の望むままにしたいと思うってことは、
普段そうしていないということ。
そんなの、考えれば誰だってそうなのですが、私にそういう自覚は無かったのです。
むしろ、やりたい事をやり、言いたい事を言って生きている方だと思っていて。
そっかー。違うんだなーと。
なるべく前向きに、明るく、平和なようにとシフトするように考えていて。
そうすることが心地よいとさえ思っていて。
でも違うんだな。いや、合ってるんだけど、違うんだ。
頭で動くことをやめてみると、疲れてる自分。泣きたい自分がいる。
誰かに会いたい自分もいて、でもそれが誰なのか分からなかったりもする。
思いつくままに話したり、時にはけんかしたり、してみたい気もする。
ふーむ。なんだかそれって青春みたいだな、と思ったり。
その代わりにといってはなんですが、久々にDVDをレンタルしてみました。
知人に勧めて頂いたドラマ。皆が良いというと、つい避けてしまって、相当遅ればせながら。
そしてやっぱり良かった。あまちゃんもいいんだろうな。
ここ2年ほど、社会的な自分が確立されていく一方で
個人的なことに向き合う機会が増えてきました。
来週は、いろんな意味でその区切りになるかも。
なんだか、不思議ですね。ひとつ片付けば、つぎの課題が来る。
そしてその先は・・??
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五月晴れ、いつまで。
http://coffeehour.exblog.jp/19387237/
2013-05-14T10:19:47+09:00
2013-05-14T10:19:42+09:00
2013-05-14T10:19:42+09:00
cafe_caraway
つれづれ
突然、夏のような日がやってきましたよ。5月。
なにやらざわざわと心が落ち着かない日は、
こうしてブログを綴るに限りますよ、と久々に。
この半年、何をしていたんでしたっけね・・。
1月。某誌に載せて頂いたところ、反響が大きく
沢山の新しいお客様にご注文を頂きました。
2月。バレンタイン。こちらは粛々と進み、
ふと思い立って始めてのコーヒー教室開催。
3月。表ではてふてふ喫茶を開催しつつ、
私的には旧交を温めたり、友達と集ったりと充実。
4月。引き続き教室やら。私的には素敵イベントに行ったり
始めてお菓子教室に生徒として参加。
5月。念願の、NY旅行。コーヒーとうまいもの三昧。
そして典型的な観光。そして日常へ。
振り返ると、仕事もしつつ、私的にもあれこれしていました。
前半の慌しさが落ち着くにつれ、自分自身の人生を楽しめていたようです。
店を始めてからは、定休日は仕事か休養、あるいは"逃避"という感じで
それ以上に前向きに、「楽しむ!」という姿勢にまでなれていませんでした。
でも、この春は、仕事に余裕が出てきたことを「暇だ!まずい!」とは思わず
「自分の時間が作れるなぁ」と受け止められつつあります。
(やはりまだ、他のキラキラと走り続ける方々を見て焦ったりはしますが)
そう、いいのです。いつも忙しくなくたって。
今年は年末から風邪なんて引いてられない、と
色々工夫して乗り越えていましたが、この連休でしっかりその分を取り返され。
このままではコーヒー屋廃業?と思うまで味覚嗅覚、聴覚まで弱っていましたが、
やっと回復してきました。よし、この調子で日常へ。
この爽やかな気候のまま夏になるなら、どれほど私たちは陽気でいられるでしょう。
でもその前に、梅雨がやってくるのです。
しかしそれはひとまず忘れて、今の幸せを謳歌しましょう。
ひとときの休息。つかの間の平和を。それでは、また!]]>
#55
http://coffeehour.exblog.jp/18288019/
2012-12-25T09:19:30+09:00
2012-12-25T09:19:41+09:00
2012-12-25T09:19:41+09:00
cafe_caraway
3 min. a day
納めたけれど、世の中は動いていて落ち着かない気持ち。
ご注文も入ったりして、来年の出荷ですとお伝えするのが心苦しい。
こんなんだったら、もう少し営業するんだったなと後悔する。
そもそも、なんでこんなに早くに終了することにしたんだっけ?
と考えてみる。
そう、店を休んで旅に出ようと考えていたのでした。
日常を離れて、新しいものに触れて、
これからの店をどうしようか、ひいては自分自身どうしていこうか
考えてみたいと思っていたのです。
でも、結局大きな旅は見送ることにして・・。
遠いところまで行かなくても、ものを考えることは出来る。
これからのこと、これまでのこと。
会社勤めのころは、自分が仕事を辞めても会社は続くもので、
辞めない限り仕事とはただ続けていけばいいものだった。
自営業というのは、自分が辞めたらその仕事は終わってしまう。
言い換えれば、自分が続ける努力をしなければ続かないということだ。
今の場所にずっとはいられないということは最初から分かっていた。
少しでも長く居られたら、と冷や冷やとした気持ちで続けていた。
そして今年、まだ大丈夫だけれど終わりの時が近づいた予兆があった。
だからただ粛々と続けるだけでなく、その日に備える必要があるのだ。
ここを離れてどこへ行こう。どこに行きたいのだろう。
再び飛び立つ力が、私に残っているのだろうか。
それを考える時間が必要だと思ったのだ。
それと同時に、ここを離れなければならないかもと思ったから、
もっと店にいるべきではと思い始めたのかもしれない。
矛盾した欲求が引き起こす、矛盾した感情。
そういうあれこれを忘れて、ひた走った先に年末を迎えたのだった。
はて。ここはどこなのだっけ・・?
離れること。居続けること。
選べるようで、選べない。
立ち止まることも出来ない。
ただ、どこかへ。]]>
#54
http://coffeehour.exblog.jp/18213132/
2012-11-29T16:48:00+09:00
2012-11-29T16:50:21+09:00
2012-11-29T16:48:50+09:00
cafe_caraway
3 min. a day
ここを書き続ける意味があまり無いような気もしています。
「つれづれ」カテゴリーでいいような・・。
そんなわけで、まだ方針は決まりませんがとりあえず。
前回、とある事情で非常に動揺しながら書いていたのですが、
結局おかげさまで事なきを得て。
そんなことがあったっけ?というような平和な今日を迎えています。
それにしても私は、誰かに責められるのがものすごく怖いのだと分かりました。
そのせいで、過剰に反応したり反論してしまうのだろうと。
でも、そんなに大げさに反応されたら、周りも言いにくいですよね。
だから、なるべく穏やかに受け止めたいとは思っているのですが・・。
少しずつしか人は成長しないし、表面的には隠せても、内心はひやひやです。
誰かに守られるのではなく、自分が先頭に立つということは
少々緊張する場面も乗り越えなければならないのです。
自分にそんなことが出来ると思って始めたのではなく、
気楽にひとりでやろうっと、と思った結果なだけで。
うわ、こんなことも自分で!な驚きは、1人暮らしを始めた時くらいありますね。
怖がりなくせに、後先あまり考えない。まぁ、そこが救いなのかもしれません。]]>
#53
http://coffeehour.exblog.jp/18201851/
2012-11-25T23:38:00+09:00
2012-11-25T23:41:07+09:00
2012-11-25T23:38:09+09:00
cafe_caraway
3 min. a day
ここまで後押ししてもらった全てに
申し訳が立たないじゃないか。
「あなたが夢を諦めても、夢はあなたを諦めない」
どこか、通りすがりに目にした言葉。
誰も救ってはくれない。誰も肩代わりしてはくれない。
自分の足で歩くしか、生きる方法はないんだ。
・・・
あるたとえ話を思い出す。
ある人が、誰かと浜辺を歩いている。
振り返ると、2人の足跡が時々1人になっている。
ある人はその誰かを責める。
「私が一番辛かった時、あなたはそばにいてくれなかった」
その人は答える。
「あなたが一番辛かった時、私はあなたを背負って歩いたのだよ」
・・・
自分ひとりで歩いているようで、ひとりではない。
そもそも歩き出したのは、自分で選んだことですらない。
それでも、どこかへと運ばれていく。
流されるのか。自ら歩くのか。
それだけが、私たちの手の中にある自由だ。]]>
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